合氣道の礼と技,そして日本

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外国の武術はいざ知らず、日本の武道なら必ず礼に始まり礼に終わる。現在は黙礼や黙想を行うことが多いですが、それも神への礼の名残です。当会 惟神合氣道の礼はその場に居られる神(道場の神)そして道を指し示す猿田彦之大神を通じて日本人の総氏神、天照大御神に日本の弥栄えを念じ、その場を共にする人に対しても敬う心を忘れず互いに礼を交わします。柏手かしわでにより降神願い、稽古は神の居わす場で行う、それは禊の場、清らかで、誰謂わずとも一定の規範が備わる、その心はこの地に万年依拠してきた日本(大和)民族の美意識に他なりません。

当会、惟神之道 武産合氣會は会主より伝えられた合氣道開祖の教え「合氣道をやりたいなら古事記を読みなさい。」を愚直に守り、自ずと備わる日本の神々への崇敬の思いを大切にしています。

当会はあくまでも武道、合氣道の団体ですから、体技稽古が主です。しかしそれは神への崇敬の念を前提にしなければなりません。とは言え宗教色は殆どなく、普段の神社参りと同じ思いで十分です。日本を大切に思う日本人なら普通にできること。普段の礼であり技術以前の話です。

合氣道の技術を分かり易く語る言葉を知りません。柔術に似る、脱力、軸、中心、剣や杖に通じる・・・様々に語れますが、どれも一部しか表していない。直に接して様々な基礎、基本、応用技を共に愉しむうちに馴染み、悟れるものだと思います。一義的には身体の使い方に通じますが、その悟りは人各々で真は時間がかかると思って下さい。表層の術のみを覚えるなら、虚実混然としてネット上に氾濫していることは既知かと思います。また体術に限れば、他会、流行りの古武術、そして柔術などで似た技を覚えることができるでしょう。中には合気道の上流だと近年盛んに自称宣伝する古流武術もあります。その宣伝文句を鵜吞みにする人がいることは嘆かわしいことですが、多くの合気道家が開祖の思いを実践できなかったことも要因であり、いずれにせよ時間を要する問題です。

日本の技術力
 例えですが、技術立国日本は個人の欲徳だけでは成し得ませんでした。戦前から戦後、高度成長期まで政府の後押しもありましたが、世の中を良くしたい、皆が幸せになる技術を生み出したい・・・、このような思いで生まれ、育まれた日本発の技術が沢山あります。それを生み出した人々の多くには敬神の心あり、だから人としての一線を踏み越えることなく最善を尽くせたのです。日本人の創造力・開発力は長い年月で育まれた文化その土台となる八百万の神々への自然な崇敬の心があってこそであり、いくら金銭をかけても諸外国には真似ができない領域なのです。
 政府の無策どころか日本国民を搾る一方で外国人を優遇する政策が長く続いた結果、民間でも大学等研究機関でも劣悪な環境に置かれた研究者・開発者には近隣国同様に表面だけ飾る者が増え、日本人の真の創造力には陰りが生じているように見えます。しかし、それでもまだ情熱を失うことなく欲得ではなく純粋な技術の発展に力を尽くす人々が存在することが日本の底力を示しています。それを近隣国は恐れ(敬うことは決して無い)、欧米や近隣国の投入する予算に比較するべくもない赤貧とも言える中で産出しつつある成果の簒奪機会を狙っていることに我々日本人は留意せねばなりません。

 


/武産合氣會/

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