合氣の剣

開祖は太刀と謂われましたが、合氣道独特の剣術を今は合氣之剣または合氣剣と云います。

合気の剣 八相の構え
武産合氣會 合気の剣
組太刀 八相八方の基本となる構え

開祖は合気々とはあまり語られることはなく、開祖入神後にノスタルジーを込めて合気剣と呼ぶようになったのが合氣道の剣法です。

剣の理合い云々、剣を体術に活かすという話をよく聞きますが、それは合道としては結果に過ぎぬ云わば当然のことで、合道は剣の技が体術に繋がることが多いのです。したがって合道の体術で上手く相手を、その前に自分の身体を捌くには剣に通暁していなければなりません。柔道・柔術とは大きく異なるのがその身体の使い方なのです。ただ、剣術が目立ちますが一方で杖術と体術・体技の連関はさらに強く、剣と共に杖にも習熟せねばなりません。本来共に習熟すべきですが、合氣の杖の簡単な説明はこちらを参照して下さい。

剣において例えを一つ挙げると、当会で初級を少し過ぎた頃に習う「八相八方」という独剣の組太刀があります。この技は八相の構えという「斬るなら斬れ!」という気迫を表した構えと、眼前後(恒)心が命題となり、四方八方の敵に対処し、打克うちかつ太刀の用法、はたらき・・・・を現します。天地中にすっと立って四方八方の敵を打ち払う。
このように個別の技は当然ながら、いにしえから発起された主題・命題に基づく組技列伝が当会合氣剣の特徴です。

以上>


・・以下は概ね余談。剣の技に関する話は殆どありません。
当会 合氣剣の中身については入門後に実稽古で學ぶが原則であると共に言葉や画像では説明できぬことに最も大切な真があります。さらに当会では合氣に馴染むべき真の日本人だけではなく、日本を貶める者も外国人も見れる媒体での公開や意のある説明も行いません。日本文化の体現と実稽古が第一の原則です。

以下の長話には剣技・術についての記述は殆どありません。まずは自ら行動するべきで、広告動画の見過ぎ、映画やドラマで勘違い、ネット上にあふれる(表層)知識過多、頭でっかちなだけで自分で動けない人はそもそも合氣は無理と心得て欲しい。


 

開祖入神後数十年で、太刀取り・短刀取りを剣術と勘違いする者がすっかり多くなってしまったのが狭い合気道界の笑える哀しい現実ですが、まことは剣に対するというよりも剣さらには杖を使うように身体を使うのが合氣の体術です。勿論それだけではないのですが、似て非なる大東流との違いも歴然としており、軽い竹刀しないを使った一対一正面だけを相手にする試合に特化した現代の剣道とも全く異なります。余談ながら今の剣道はスポーツチャンバラを笑えぬほど現実離れしていることは(日本)武道の問題の一つです。合氣の剣は前後左右、四方八方全てを相手にし、柔軟です。全てに剣氣を払い流し制します。剣術に通暁し、さらに難しい二刀にも慣れることが合氣道を真に修める端緒となります。

今では合気道家を名乗りながら(合氣の)剣も杖も殆ど知らぬ者が多いのは開祖入神前後の騒動に遠因があるのですが、その経緯を知らぬ者が大半となってしまいました。とはいえ一般の合・会を名乗る道場でも所によっては全く無になったわけではなく見れば少しはあることに気付くでしょう。武産を名乗る場合も概ね同様ながら、剣は(杖も)付足しのようで刀(杖)の原理を全く無視した無駄でゆるおどりとしか言えぬ代物しろものに過ぎません。

忙しい日常の中で限られた時間を使ってせっかく設けた貴重な稽古時間を、自分は誰某だれそれに習った云々うんぬんかんぬん、己の段位自慢、姿と動作で一目瞭然なのに真を知らぬ合気を語る、実のない長話を聞かせて浪費する。現代の日本では七十代・八十代でも大東亜戦争敗戦後(令和六年時点で敗戦から七十九年経過、つまり敗戦時六歳でも令和六年では八十五歳)、御大層な名称のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と外国勢の手先である共産主義者達に押し付けられた自虐教育を特に強く受けた世代ゆえ(GHQが日本を壟断した七年とその後の数年)、全く愛国心もなく国益つまり国民の為を考えられない者が近年の上位指導層とそれに引き立てられた者に多いのが、あまりに哀しい現実。そうでない人も目に見えて増えてはきたが子供の頃の刷り込みは強力で、よほど良い機会や出会いがあったか、ふとした切っ掛けで自ら考え調べてみた人でなければこの世代(今にも続く)の押し付けられた自虐史観を翻すのは難しい。今、子供達が教えられている歴史や国語の教科書も概ね日本に誇りが持てない自虐史観で描かれていることを忘れてはいけない。日本に誇りを持てぬ者が合氣を語る。国がなく、日本の歴史を知らぬ者に合氣も合氣の剣も分かりようがないのが、日本人を現す別名でもある合氣道そして日本の武道の本質に繋がることであることに心せねばなりません。

話を戻すと、実戦が無くなって久しい日本では仕方がないとはいえ、合気道は元より哀しいかな古武術でもよく見られる緩い動き、これは体操ではないか?ラジオないけど。 武を語る資格が疑わしい・・枚挙に暇がありません。極論ではあるものの、武道を名乗りながらこんな状態で、愛国心を喪失し外には怯懦きょうだ、内弁慶が普通の我欲(近欲)しかない政治・行政要員達の犯し続ける過ちで破壊されつつある日本で益々増加している不良外国人達の横暴を抑えれるのか。

この国は我らが祖国日本、後世に伝えるべき愛しい祖国、この国は永く繋いできた日本人のための国。内憂外患の日本で、少なくとも武道に携わる者(日本人)が目指すこと心掛けることはただ一つのはずです。目立ちたがり屋、格好つけたがり屋、武道武術屋は本人達に自覚なくとも日本にとり害悪そのものです。全く忘れられている開祖の言葉があります。「武道は見世物ではない。やり直さねばならん。合氣をやり直せ、吉・丸。」(開祖最晩年の稽古会にて非常に激しい口調で 但しその後 開祖入神し無かったことに) この言葉を合気道的役者と化した者たちに贈りたい。二代目とされる吉・丸さんが数を求めて合気道の興行化に成功し、合気道がある程度世界に拡まった(拡めてしまった)のは事実でそれが彼の業績かもしれぬ。しかし剣も杖も好まず、緩い踊り的見世物にしてしまったことに開祖は何度もハッキリと怒りを露わにされていた。~演武、~演武大会を見ると、真の武を知る者はすぐ気付くはず、それは軟畳上の上手な受身しかない、~興行と称しても過言ではないくらい劣化した今の合気道。哀しいかな。そもそも日本の武は見せるものじゃない。

日本と合気道の現状と未来を憂いながら、ともかく気を取り直しさらに無駄話をすると・・・ ➡合氣道と日本の歴史も参照

日本刀でも突きは重要で、しかも難しい。しかしるために特化したのが日本刀。日本刀の反りは何のためにあるのか? ゆるい会派でよくみられる軽く構えて少しの動きで手元を切るか突くのが合氣の剣なのか、しかもゆっくりまったりで気合きあいは厳禁とか、緩持ゆるもち体術と同様に? これでは剣が面白い・使えるとは到底思えないでしょう。竹刀しないとの違いも理解せず、どこまで往っても剣を持っているだけの眠たいオマケ(持ち方すら間違っていることが多い)。悲しいことに(多少残っている)敢えて云うなれば一般の合氣の剣は体術を僅かに膨らませる程度の意味しか持たず剣術とは到底言えぬほど特に貧弱になり果てました。
最近は我々の啓蒙けいもうも少しは寄与したせいか合氣道には剣(杖も)が大切だということを遅ればせながら知り、全く剣技を知らぬのに軽い木刀を買い求め見様見真似で振ってみせたり、今ならネットで表面上の(出稿者が見せたい)剣術を真似る者もいます。やらぬよりはましですが、繋がりが分からないでしょうし、概ね単調ですぐに飽きてしまいます。

合気の剣を標榜する主な流儀は岩間流や(合気道を名乗らぬ約定を交わしたはずの)心身統一…、その他に武産を名乗りながらも妙にゆるい会派等がありますが、もし何れかの経験を持つなら当会との違いは、入門後程無く判然とするでしょう。当会でも初めは慣らし技稽古を重ねながらも、各級段位審査は一般的な合気道とは比較にならぬ厳しさに直面することになります。端的に云えばやることが多いのですが、加えて重い速い。それでも剣技といえる領域に入り始めるのは二段以降になりますが、手前味噌ながら慣らし技でも大量に習得せねばならず、体術以上に習い覚えねばならぬことが多いと入会すれば分かることになります。それだけやらねば真の体術と武器技の連関は覚れない、全てを体技として統合できない。

平和で安全な日本(幸せなことです。このような日本を築いてくれた先人に感謝しましょう)では幸い実戦を経ることはまずありませんが、開祖に学んだ上、荒くれものの多い嘗ての船舶業界で海外勤務の長かった会主より伝わる剣・杖・短刀術より成るのが当会の武器体系です。結果として合氣の太刀(剣)取り・杖取り・短刀取りにも繋がりますが、ネット上にも流布され簡単に真似し易い岩間流や心身統一…の武器技とは全く異なることに留意下さい。なお、短刀は下衆げす無恥むち(恥不知)に繋がり易いことから中下位の段階の人や子供は短刀稽古を行いません。余談ながら、合氣の品位を落とさぬよう短刀術及び短刀取りは体技上位稽古に達したうえで下記条件にも該当する人に希望に応じて剣対短刀、短刀(操法)術から太刀取り、短刀取りの指南を行うこともあります。

体術と同じく剣も始めは当然ながら上記のように慣らしの為の基本技が続きます。それでも多くの人にとっては覚えるのが大変な量ですが、少なくとも当会における基本の体技、呼吸を身に着け、世界で最も古い国日本に生まれた日本人としての明確な国家観を持ち、日本人として生まれたことに誇りを持てるようになる人にのみ、それまで習得した技術をさらに活かす形でその先に進んで貰います。当会の術技の根幹は概ね門外不出、せいぜい写真でのみその一部公開しか許されていません。実技が基本であり虚飾に溢れたネット動画等ではほとんど出せません。他者の目のある公開の場では禁忌に触れる技稽古はしません。興味のある人はまずは当会体験稽古を経て入門下さい。その人次第で時を経る要がありますが各種の剣の独技、組技を学び、剣捌き(杖も)が上達することが合氣道の技術向上につながることを身をもって示します。


長い無駄話(云っても詮無い)でした。ここまで読至った方はお疲れ様です。要するにネットで安直に得られる・観れるものには宣伝・プロパガンダが多く、真に知りたい場合はそれなりに労を要することを覚悟し汗をかき実行する人のみが確かに前進できるのが世の常。それはインターネットが一般化する前から同じということ。流行りの古文書読解でも同じながら誰でも見れるところに極意が掲げてあれば皆が達人になっていたはずです。そんな人は現実にはまずいないことを知ることから修行が始まるというわけです。


 

<初段取得までに修める剣術(太刀)>

主な型(組太刀)

佐武波羅之太刀の一部

・正面八方打ち

・横旋風 各種

・転換打ち 各種

・青柳 各種

・佐武波羅一之太刀(攻守)

・八相八方(独剣)

・佐武波羅之柳刀(攻守)

※二段以降では佐武波羅之太刀の中盤以降から真剣之太刀まで修めて往きます。 さらに技量が求められ技を深めます。

 

 

ー武産合氣會ー


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➡ 合気道 稽古次第

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