合氣道の話 つれづれ

合氣道といろいろ

「管理者の思いを徒然なるままに」

ここに掲載するのはFacebookにたまに投稿する気楽なお話です。合氣道を中心にした武道武術その周りのことが多いですが、そのほかのこと、関心の深いサイエンス・テクノロジーのこと、歴史のこと、などいろいろです。過去の出来事や稽古のコツ、心がけなどまじめな話もしますが、具にもつかぬことも。自慢話もしたいな。こんなのでよかったら観てください。 但し書くのをずっと怠けていたのでまだ内容はあまりないです。これから増やしていこーかなと思っています。


28/06/20

武産合氣會
合気道

現在武器技のみ稽古中
杖の操法ことはじめ
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28/06/20

靖国神社には30年近く前からできるだけ毎年参拝してきましたが、つい最近になって、映画「凛として愛」に遅ればせながら気づき紹介しました。この映画は平成14年靖国神社の遊就館映像ホールで上映されるも僅か2日で中止に追い込まれ、その数年後にこの映画の脚本監督をされた泉水隆一監督は無念の言葉を残して亡くなられました。
 日本人が日本国を誇りに思うことがなぜいけないのか、明らかに周辺国の邪悪な思惑とそれに動かされる軽薄な日本人、自らの歴史を忘れるよう仕向けられそれに抗うことが無かった日本社会の責任です。周辺国から見て異次元の輝かしい歴史と底力をもちながら、自らの力に気付かず、気付かないように仕向けられていることにも思い至らない人が多いありさまを嘆きます。
 まるで羊の群れであるかの如く、様ざまな領域で侵透され侵されてきた我日本国ですが、これから本来の日本を取り戻す闘いに加わり先人の血と涙の挙句に残された日本の国体、この日本をさらに輝ける国にするために共に働ける人を一人でも多く見つけ、育てることに微力を尽くしたいと思います。
惟神合氣道 武産合氣會 統括師範 﨑川
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25/06/20

大東亜戦争(米国側からは太平洋戦争と云う)は有史以来日本人が初めて大負けした戦争でした。この戦争に突入した経緯も、なぜ負けたかも、多くの検証がなされています。今思えば悔しい失敗も愚かな行動も沢山あります。それでもなお日本は輝かしい歩みを続けてきたと断言できます。

大東亜戦争で米国との国力差は厳然としてあったにせよ、決して負けるべき闘いではありませんでした。 およそ80年前、当時の世界は欧米諸国によってアジアの殆どが植民地や準植民地として領有され、日本以外のアジア・アフリカ人の殆どに自治権が無かった時代です。欧米から見て東洋人は人間ではなかったわけです。

その状況を自ら血を流して変えたのが我々の祖先です。日本人は自国に自信を持たねばなりません。先人の歩みをしっかりと理解することで、現代を前を向いて生きていくことができるはずです。日本の歴史は他国のように嘘で固める必要は全くなく、正直に全てを晒せばよいだけ、よく知らない人も虚心坦懐に勉強してください。きっと熱い思いを抱けるそしてこの平和を築いてくれた先人に感謝し、敗戦前後に生じた歪を直しこの国を正常な国に戻す努力をしてくれると信じています。

「凛として愛」鑑賞下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=QwpWKoV13GY&t=305s

<武産合氣會>
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25/06/20

武産合氣會
合気道稽古再開しました。
武漢肺炎対策のため長らく休止していましたが、緩和措置を受け独自の対策もこうじて再開です。

合気道には合氣剣、合氣杖、そして二刀技があります。
組技は暫く控えますが、型だけでも数年では覚えきれません。
合氣の大本につながる体技をここでしっかり身につけてもらいます。

/武産合氣會
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23/05/20

<杖のこと>その1

ここまで我々の合氣道で多用する木刀のこと、特に鍛錬刀と真剣についてその一端を紹介した。刀についてはマダマダ書きたいことがあるが、一旦休みにしてここからは杖のことを少し書こうと思う。

我々武産合氣會合氣道の技術体系中で合氣剣と並んで豊富なのが杖術だ。「じょうじゅつ」と読む。合氣杖あるいは合氣之杖、特に武産合氣之杖術と呼ぶ。鍛錬用に使う鍛錬杖なら大人の手でやっと掴める太さで六尺棒よりは短いが手幅より長い。但し一般稽古用は太さ九分、手幅一杯程度。よく武道具屋で扱っている4.2尺棒(杖)は当会の子供用に近い。我々がこの4.2尺棒を持つと頼りなさすぎて不安になる。それなりに長さと重みがある方が使い勝手がよくなるよう鍛錬しているので。
ともあれこれを自在に操作し、打合い、対剣の技も多数あり、当然太刀取り同様に杖取りの技もやる。技についても公開禁止の部分を除いて少しだけ今後公開する機会があると思う。
HPにも記載しているが、剣以上に豊富な技術群があり習得に相当時間を要する。覚える技が多過ぎて圧倒される人が多いが、巧みな技が非常に合理的に編成されており、好みにもよるが覚えるのが楽しくなること必定である。内容についてはせいぜい初段程度までの一部しか公開できないのが残念だが。

/國常
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16/05/20

<まずは鍛錬刀から>その4

すこし脱線したけど、鍛錬刀の良いところは、まず重心の位置が丁度刃長一尺七~八寸程度の長刀と同じ位で、形を同じくしながらも敢えて刃斬りを悪くし真剣よりも重くしている点にある。あとは職人さんのセンスと愛着にある。日本人は道具にも心を通わせる。心がつながる刀を求める。だから大切にする。極端な反例だが、使い捨ては本来日本人とは最も遠い概念です。

この刀鍛錬刀は慣れれば繊細な技稽古も可能で、竹刀稽古は申すに及ばず、普通の木刀よりも遥かに真剣様の稽古ができる。
現代で真剣を使うことが現実になるとは思わないが、イザとなればという心構えは武道に携わる者の務めであると思っている。武道とスポーツの大きな違いの一つ。なぜ合氣道が試合をしないのかということにもつながるが、この話は後日しよう。

/國常
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08/05/20

ここまで読み返したら次に
「五箇條の御誓文」も記したい。

「五箇條の御誓文」
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一、上下心を一にして、盛に経綸(けいりん)を行ふべし。
一、官武一途庶民に至る迄、各其志(おのおのそのこころざし)を遂げ、人心をして倦(うま)ざらしめん事を要す。
一、旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の行動に基くべし。
一、知識を世界に求め、大に皇基(こうき)を振起(しんき)すべし。
我国未曽有の変革を為んとし、朕躬(み)を以て衆に先じ、天地神明に誓ひ、大に斯国是を定め、万民保全の道を立てんとす。衆(しゅう)亦(また)此旨趣(このししゅ)に基き協心努力せよ。

明治元年三月十四日

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こちらは短くて分かりやすいので口語訳は不要かと。

/國常
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07/05/20

日本の大変革の時代、乙巳(イツシ)の変に始まる大化の改新が成される直前期に纏められた十七条憲法に刺激され、もう一つの大変革、明治維新のとき、明治を代表する教育勅語を記しておく。明治神宮に参拝した折に頂いたので、誰でも目にすることができるが、恐れながらあらためて自分用に備えたいと思い。
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教育勅語(きょういくちょくご)

朕惟(ちんおも)ふに 我が皇祖皇宗 国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 徳を樹(た)つること深厚(しんこう)なり 我が臣民克(よ)く忠に克く孝に 億兆心を一つにして 世世(よよ)厥(そ)の美を済せるは 此れ我が国体の精華にして 教育の淵源(えんげん)亦実(またじつ)に此(ここ)に存す

爾(なんじ)臣民 父母に孝に兄弟に友に 夫婦相和し朋友相信じ 恭倹(きょうけん)己れを持し 博愛衆に及ぼし学を修め業を習ひ 以て智能を啓発し徳器を成就し 進んで公益を広め世務(せいむ)を開き 常に国憲を重じ国法に遵(したが)ひ 一旦緩急あれば義勇公に奉じ 以て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし 是(かく)の如きは 独り朕が忠良の臣民たるのみならず 又以て爾(なんじ)祖先の遺風を顕彰するに足らん

斯(こ)の道は 実に我が皇祖皇宗の遺訓にして 子孫臣民の俱(とも)に遵守すべき所 之を古今に通じて謬(あやま)らず 之を中外に施して悖(もと)らず 朕爾臣民と俱に 拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)して 膺(みな)其徳(そのとく)を一にせんことを庶幾(こいねが)ふ

明治二十三年十月三十日
御名御璽
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次に口語訳を

/國常
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06/05/20

十七条憲法 第十三条から第十七条

第十三条
「同知職掌」諸々の官に任ずる者は同じく職掌を知れ
 各々の官に任ぜられた者は、みな自分の職務内容をよく知れ。或いは病のためあるいは使いのため、事務をとらないことがあっても、職場についたときには、以前からそれに従事しているのと同じようにし、自分はそれにあずかり知らぬと云って、公務を妨げてはならぬ。

第十四条
「無有嫉妬」嫉妬あるなかれ
 群臣や百寮はうらやみねたむことがあってはならぬ。自分が人をうらやめば、人もまた自分をうらやむ。うらやみねたむ弊害は際限がない。人の知識が己に優る時は喜ばず、才能が己に優る時はねたむ。こんなことでは五百年にして一人の賢人に会い、千年に一人の聖人の現れるのを待つのも難しいだろう。賢人聖人を得ないで何をもって国を治められようか。

第十五条
「背私向公」私に背き公に向え
 私心を去って公に尽すのは臣たる者の道である。全ての人が私心のある時は、必ず他人に恨みの心を起させる。恨みの心がある時は、必ず人の心は整わない。人々の気持ちが整わないことは、私心をもって公務を妨げることになる。恨みの気持ちが起れば制度に違反し、法を破ることになる。第一の章(クダリ)に述べたように、上下相和し協調するようにといったのも、このような気持ちからである。

第十六条
「古之良典」古(イニシエ)の良典を用いよ
 民を使うに時をもってするというのは、古(イニシエ)の良い教えである。それ故に冬の月(十月から十二月)に暇があれば、民を使ってよい。春より秋に至るまでは農耕や養蚕のときである。民を使うべきでない。農耕をしなかったら、何を食えばよいのか。養蚕をしなかったら何を着ればよいのか。

第十七条
「不可独断」独断不可
「逮論大事 若疑有失」大事な論に及びては過ちあることを疑え
 物事は独断で行ってはならない。必ず衆と論じ合うようにせよ。些細なことは必ずしも皆に諮らなくてもよいが、大事なことを議する場合には、誤りがあってはならない。多くの人々と相談し合えば、道理にかなったことを知り得る。

/國常
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05/05/20

十七条憲法 第八条から十二条

第八条
「早朝晏退」朝早く出仕し遅くに退せよ
 群卿や百寮は早くに出仕し、遅く退出するようにせよ。公務はゆるがせにできない。一日中かかってもやりつくすのは難しい。それ故遅く出仕したのでは、急の用に間に合わない。早く退出したのでは必ず業務が残ってしまう。

第九条
「信是義本」まことはことわりの元なり
 信は道義の根本である。何事をなすにもまごころを込めよ。事のよしあし成否の要はこの信にある。群臣が皆まごころをもってあたれば、何事も成らぬことはない。群臣に信がないと、万事ことごとく失敗するだろう。

第十条
「絶忿棄瞋」心の怒りを絶ち表の怒りを棄てよ
 心の怒りを絶ち、顔色に怒りを出さぬようにし、人が自分と違うからといって怒らないようにせよ。人は皆それぞれ心があり、お互いに譲れないところもある。彼が良いと思うことを、自分はよくないと思ったり、自分がよいことだと思っても、彼の方はよくないと思ったりする。自分が聖人で、彼が必ず愚人ということもない。共に凡人(タダヒト)なのだ。是非の理を誰が定めることができよう。お互いに賢人でもあり愚人でもあることは、端のない環のようなものだ。それ故相手が怒ったら、自分が過ちをしているのではないかと反省せよ。自分一人が正しいと思っても、衆人の意見も尊重し、その行うところに従うがよい。

十一条
「明察功過」功過を明らかに察せよ
 官人の功績・過失ははっきりと見て、賞罰は必ず正当に行え。近頃、功績によらず賞を与えたり、罪がないのに罰を行ったりしているのがあり、事に当たる群卿は、賞罰を公明に行わねばならぬ。

十二条
「国非二君」国に二君なし
 国司(クニノミコトモチ)や国造(クニノミヤツコ)は百姓から税を貪ってはならぬ。国に二人の君はなく、民に二人の主(アルジ)はない。国土のうちの全ての人は、皆王(キミ:天皇)を主としている。仕える役人は皆王の臣である。どうして公のこと以外に、百姓から貪りとってよいであろうか。

/國常
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04/05/20

十七条憲法 第四条から七条

第四条
「以禮為本」うやまうことを根本とせよ
 群卿(大夫)百寮(各役人)は礼をもって根本の大事とせよ。民を治める根本は必ず礼にある。上に礼がないと下の秩序は乱れ、下に礼がないときは、きっと罪を犯す者が出る。群臣に礼のあるときは、秩序も乱れない。百姓(オオミタカラ)に礼のあるときは、国家(アメノシタ)もおのずから治まるものである。

第五条
「絶餐棄欲」むさぼりを絶ち欲を棄てよ
 食におごる(貪り喰らう)ことをやめ、財物への欲望を捨て、訴訟を公明に裁け。百姓の訴えは一日に千件にも及ぼう。一日でもそれなのに、年を重ねたらなおさらのことである。この頃訴訟を扱う者が、利を得ることを常とし、賄賂をうけてから、その申立てを聞く有様である。つまり財産のある者の訴えは、石を水に投げ込むように、必ず聞き届けられるが、乏しい者の訴えは、水を石に投げかけるようなもので手ごたえがない。このため貧しい者はどうしようもない。臣としての役人のなすべき道も失われることになる。

第六条
「懲悪勧善」悪をこらしめ善を勧めよ
 悪をこらし善を勧めるのは、古(イニシエ)からのよい教えである。それ故、人の善は隠すことなく知らせ、悪を見ては必ず改めさせよ。へつらい欺(アサム)く者は国家(アメノシタ)を覆(クツガエ)す鋭い道具のようなもので、人民を滅ぼす鋭い剣とも言える。またこびへつらう者は、上に向っては好んで下の者の過ちを説き、下にあえば上の者の過失をそしる。これらの人はみな、君に忠義の心がなく、民に対して仁愛の心がない。これは大きな乱れの元となるのだ。

第七条
「人各有任」人各々任あり
 人には各々任務がある。司(ツカサド)ることに乱れがあってはならぬ。賢明な人が官にあれば、褒めたたえる声がすぐ起きるが、よこしまな心をもつ者が官にあれば、政治の乱れが頻発する。世の中に生れながらにして、よく知っている人は少ない。よく思慮を重ねて聖(ヒジリ)となるのだ。事は大小となく、人を得て必ず治まるのである。時の流れが速かろうが遅かろうが、賢明な人に会った時、おのずから治まるのである。その結果国家は永久で、世の中は危険を免れる。だから古の聖王は、官のために立派な人を求めたのであり、人のために官を設けるようなことをしなかった。

/國常
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