日本書紀に記載され、推古帝の御代、聖徳太子がまとめられた。ここにその後の日本人の規矩が全て凝縮されています。役人や貴族のために書かれたように見えますが、時代背景に思い致せば昔も今も変わらぬ国のあり方を明瞭に示しています。単純な勧善懲悪ではなく、調和を重んじる日本人の原点、恐らくは縄文時代より育まれた精神がこの時代七世紀はじめに文書として纏められたと考えます。神道は上古からの日本人の生活習慣そのものであり、宗教とは違います。それを前提として造られたことを念頭において読むとよくわかります。
さらに我々はこの簡潔明寮な憲法がおよそ千四百年前に書かれたことに思い致すべきなのです。これだけの憲法を書けるということはそれまでの時代に既にその下地となる文化文明が日本で連綿と育まれていたということを意味しています。
日本の大変革の時代、皇紀1305年(大化元年/西暦645年) 乙巳(イツシ)の変に始まる大化の改新が成される少し前、皇紀1264年(推古12年/西暦604年)に纏められました。
「十七條憲法」
※主に講談社版から引用しました。
―武産合氣會―
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