合氣道と日本の歴史

合氣道は単に武道というにとどまらず、おそれながら日本の国柄そのものに深く結びついています。惟神之道 産毘の武なのです。表向きの体技技術はその一片に過ぎず、正しく身に着けるにはまず日本の歴史を十分に学び祖先の歩みを自らの歴史としておく必要があります。技術と心の修養が求められるのです。当会では会員には当然ながら、特に子供達への日本の歴史教育を重視しています。各所に記載している通り、自分の生まれた国を誇らしく思えなければその国は滅びてしまいます。国民が全員自分の私利私欲のままに生きて国を顧みなければ、その国は存在する意味すら失います。日本という国がなければ合氣道も生まれず、今後も日本の歩みと共にあるのが合氣道なのです。

本頁では限られた体技稽古時間の中で行う当会の学習講座教材の一部を公開します。多くの古典的典籍、現代書籍から教育に特に必要な個所を引用しながら、当会が受継ぐ合氣道教程を少しだけ交えて紹介します。なお、表向きの史実を時代順に追うのは本項の目的ではありません。特に大切な事績・事物を搔い摘んで示していきます。一般によく知られたことが多いのですが、ここであらためて合氣道とのつながりとしてみてほしい事柄です。

 

十七條憲法古事記 神つ巻序教育勅語五箇条の御誓文終戦の詔昭和二十一年元旦の詔書米国大統領への手紙開戦の詔書順次更新

皇紀1264年(推古12年/西暦604年)に聖徳太子によりまとめられました。今の時代にも通じる人が生きていく規矩が簡潔明寮に示されています。この時代にすでに存在していたことに誇らしい気持ちになります。

➤十七條憲法

日本最古の歴史書です。皇紀1372年(和銅5年/西暦712年)完成。全三巻で現在は写本が残るのみですが、八世紀始めの日本人にとって普通であった(時代が近い)神の物語を始め、神武天皇(神倭伊波礼毘古命)から推古天皇の時代までの歴史が非常に公平に記述された、日本書紀と並んで大切な書です。物語のはじめともとらえることができます。日本書紀は古い漢文で書かれていますが、古事記は万葉仮名で記述され当時の日本語の音が今とそう変わらないことも古事記から分かります。本項で示すのはほんの序文です。学校教育では殆ど取り上げないのでよく知らない人も多いと思います。興味を抱いて自ら入手し読み進める人が増えると本項で取り上げた意義があります。

➤古事記神つ巻の序

 

皇紀2550年(明治23年/西暦1890年)に発布された。日本大変革の時代、明治維新のとき、明治憲法と共に明治を代表する教育に関する詔ともいえます。明治天皇のお言葉をもって上も下も協力して国難にあたるための大切な道筋を切々と説かれています。

➤教育勅語

 

皇紀2528年(明治元年/西暦1868年)明治への改元と同時期に発布されました。公正公明な姿勢がよく伝わる素晴らしい文だと思います。

➤五箇条の御誓文

 

皇紀2605年(昭和20年/西暦1945年)4年に渡り日本が国をあげて戦い敗れた大東亜戦争。相手は第一次世界大戦での飛躍を契機にまさに超大国になろうとしていた米国。歴史の帰結とはいえ、白人支配の当時の世界に抗い三百数十萬の同胞の血を流して至ったこの上ない屈辱です。昭和天皇がおられなければ日本は消滅していたかもしれない。所謂玉音放送ですが毎年「堪え難きを堪へ 忍び難きを忍び~」の部分のみを耳にするものの長い全文をよく考えた人は少ないのではないでしょうか。国民の苦悩・苦痛を思い遣り、労わると共に国民への激励で埋め尽くされたともいえる天皇のお言葉です。夏を迎えるといつも噛み締めます。

➤終戦の詔(大東亜戦争敗戦における天皇のお言葉)

皇紀2606年(昭和21年/西暦1946年)1月1日、大東亜戦争の敗北後まだ4ヶ月、米国を中心とした占領軍の日本統治が行われるなかで、続々と外地からの帰還と国内の混乱、物資の不足がいまだ続く状況下で発布されました。いわゆる天皇の人間宣言と云われていますが、人間という言葉はどこにも使われず、名称も意図的に間違えて伝えられています。真の詔をしっかりと目にして欲しい。幾千年と続く日本を復興し、昭和天皇が国民と共にあると国民を慰撫し激励するお言葉です。戦争に負けるとは如何なることか、そう我先達は当時も今も世界最強の国と正面から戦い、敗れたのです。

➤昭和二十一年元旦 発布詔書(所謂天皇の人間宣言)

皇紀2605年(昭和20年/西暦1945年)2月26日硫黄島の守備隊がほぼ全滅状態となり組織的な戦闘を終えました。
 大東亜戦争末期、日本は精強だった海軍艦艇の殆どを失い、本土防空にも事欠くほどに航空戦力も損耗していました。米国は戦略爆撃機B29による日本本土空襲(一般市民を狙った虐殺)を始めていましたが、日本は危機的な物資不足の中で歴史に残る名戦闘機を次々と実戦配備し、海軍では零式艦上戦闘機「零戦」だけではなく「雷電」、「紫電(改)」、
「月光」など、陸軍では一式戦「隼」、二式戦「鐘馗」、三式戦「飛燕」、四式戦「疾風」等と次々と高性能戦闘機を開発し(日本の航空開発力を恐れた米国は戦後日本の航空産業を壊滅させ、その圧力は今も続いている)、生き残った搭乗員等が奮闘したので、B29の撃墜落が多発していました。爆撃での被害を重視した米軍は護衛戦闘機が随伴可能になる飛行場を求めて東京から約1000kmの小笠原諸島にある硫黄島に目を付け、守備する日本軍の5倍以上の約11万の兵力で上陸しました。当初は日本軍を侮り2週間で占領できると踏んでいましたが、結局約1ヵ月半の戦闘で日本軍以上の犠牲を出して辛くも占領に至ったのです。
 日本軍最後の組織的戦闘で戦死したと思われる市丸海軍少将の遺書が米軍の手に渡り、今でもアナハイム海軍兵学校博物館に展示されています。

➤ルーズベルトニ与フル書

大東亜戦争開戦にあたり昭和天皇が発布された詔書です。皇紀2601年(昭和16年/西暦1941年)12月8日、大日本帝国海軍が世界初の空母機動部隊をもって米国太平洋艦隊基地を攻撃して大東亜戦争が始まりました(太平洋戦争という別称は米国視点)。
 当時ハワイ王国を強制的に準州とし蛮拠していた米国がオアフ島の真珠湾に勝手に設置した米国太平洋艦隊基地(艦隊泊地)の他に、英国の植民地であったマレー半島の英国軍、続いてオランダ植民地インドネシアのオランダ軍(本国は既にドイツに占領されていた)に対して作戦を開始して始まりました。
 開戦にあたり、いかに昭和天皇が苦悩されたかがよく読み取れ、ここに至るまで追い詰められた日本とその後の経緯を考え、これも涙せぬわけには参りません。現代でもよく見かける他国、特に専制国家が吐き散らす嘘と誇張だらけの宣文とは全く次元の違う、誠心が溢れる天皇陛下の御言葉。先の終戦の詔と共によく読んで頂きたい。末尾に現代口語訳文も付しています。

➤開戦の詔書(大東亜戦争に踏み切らざるを得なかった天皇のお言葉)

少しづつですが、今後更新・追加していきます。

 

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