合氣道の話 つれづれ

合氣道といろいろ

「管理者の思いを徒然なるままに」

ここに掲載するのはFacebookに投稿する気楽なお話です。合氣道を中心にした武道武術その周りのことが多いですが、そのほかのこと、関心の深いサイエンス・テクノロジーのこと、歴史のこと、などいろいろです。過去の出来事や稽古のコツ、心がけなどまじめな話もしますが、具にもつかぬことも。見苦しいですが宣伝や自慢話もあります。自己満足で書いているので何の配慮もありませんが、こんなのでよかったら期待しないで読んでください。 じつは観られることは考えておらず、リラックスして気まぐれに書くことだけが目的ですので、全然更新しないことも多く、そうかと思うと急に書き綴ることもあったり、色々です。


27/11/21

武産合氣會合気道合気杖の一つ天※地※の~波小波ようやく通しで出来るようになったかな。初めは到底自分にはできないと言った技も、諦めず迷いを繰り返しながら一歩一歩踏みしめながら漸進すると光が見えてくる。合氣の道 日本の武道#合気道 #武道 #武術 #合気杖 #杖術 #子供 #日本 ... See MoreSee Less
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18/11/21

武産合氣會合気道合氣二刀二刀の初歩稽古中鍛錬組手の準備#合気道 #剣術 #合気剣 #二刀流 #合気二刀 ... See MoreSee Less
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08/11/21

武産合氣會子供合気道合気剣激しく技を繰り出して打ち合ったあとの休息#合気道 #武産合氣會 #武産合気道 #子供 #合気剣 #剣術 #大阪 #吹田 #神戸 ... See MoreSee Less
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06/11/21

萬葉歌百選-武産合氣會-<十二>我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 我が立ち濡れし[読み]わがせこを やまとへやると さよふけて あかときつゆに わがたちぬれし[意訳]わが弟を大和へ送り帰さなければならないと、夜も更けて明方近くまで立ち尽くし、暁の露に私はしとどに濡れた。(大津皇子が竊かに伊勢の神宮に下りて、上り来るときに大伯皇女の作りし歌/ 天武帝の忌中に国家の守護神に勝手に参ることは禁忌を侵すことであった。「竊か」は「ひそか」)※大津皇子は天武天皇の第三皇子。母は持統天皇の姉大田皇女。文武両道に優れ人々の信望を集めたが、父天皇の死後、皇太子草壁皇子に対して謀反を企てたとされ誅殺された。大伯皇女(おほくのひめみこ)は大津皇子の同母姉で天武三年(皇紀1334年、西暦674年)十四歳で伊勢斎宮となった。当時の政治状況を思うと皇子と実姉の置かれた立場が偲ばれる。罪にとわれ敗れた側の歌も残す我が国日本の素晴らしい伝統を思う。---------/武産合氣會 ... See MoreSee Less
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04/11/21

大阪吹田道場を開設して以来、久しぶりに稽古場所を増設しました。今年の夏から吹田の武道館洗心館でも稽古しています。 道場は綺麗で広く、フカフカの畳が敷かれていてまるで布団の上で戯れているような気分。これならどんな受身もとれてしまうやんけ。と思い、自分がフヤケてしまわないか心配になってきました。 武道館は今後も使いますが、ヤワにならないように逆に鍛錬を怠けぬようにとあらためて心した次第。我々は普通の稽古でもその時間の使い方は体術と武器技をおよそ半分づつですが、武道館ではまだ始めたばかりなので人が少なく一人の時もあります。そういう時は殆ど武器技をやっています。 周りで他の人達が色々な練習しているので気が散るかと思いきや、強く注意を引くものは無いということも幸いしてはいますが結構自らの稽古に集中できることにあらためて気づきました。これも氣吹稽古を繰り返した賜物かと思いたいけど、まだまだです。当会の合気剣、合気杖をやっていると手前味噌ながら、面白くて没入してしまう。私の師匠は危ない空手家から合気道の世界に入った人で、開祖に出会って目覚め、合気道に没入したのはよかったものの、やり過ぎて他の人達から煙たがられ浮いた存在でしたが、そのおかげで師匠が磨きあげたた技を楽しむことができることに感謝しないといけないとの思いがつのります。間違わなければ各々の型を1回づつ、休みなくオモテの技を2時間くらいやり続けてもまだ尽きず、結局時間切れで終わるのが常です。まだまだやりたいとの思いはありますが、メリハリをつけるために毎回納める時を決めています。ところが最近、これも師匠譲りですが合気剣技は刀にも馴染む必要があるので、ずっと怠けていた居合もやろうとしたら、刀に錆が入っていてガックリ。前回竹割をやったあと、そのまま放置していたことが致命的だったと砥ぎに出して分かりました。砥ぎが終わるまでしばらくはペラペラの居合刀稽古です。あまりに軽くて振っている気になりません。鍛錬用の金剛刀は持ち出せないので少しは振りごたえのある刀を入手したいと思っています。 ... See MoreSee Less
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23/10/21

武産合氣會合気道合気二刀術鍛錬組手の初手 稽古中二刀で打ち合い鍛えます。はじめは覚えるのに精一杯ながら、進むにつれて片手一本で相手の打撃を受け、躱し、攻撃できるようにしていきます。はじめは一刀より不利で力の使い方もままならないものの鍛えつつ理解が進むと技数が多いので一刀の太刀技の上達そして体術が楽になります。#合気道 #武産合気道 #武産合氣會 #二刀流 #合気二刀 #武器技 #大阪 #吹田 #神戸 ... See MoreSee Less
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17/10/21

萬葉歌百選-武産合氣會-<十一>山辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢娘子ども 相見つるかも[読み]やまのへの みゐをみがてり かむかぜの いせをとめども あひみつるかも[意訳]山辺の御井を見に来て、はからずも、内心見たいと思っていた伊勢乙女たちにも逢うことができた。(和銅五年壬子 夏 奈良朝の風流詩人 長田王が伊勢の斎宮に遣わされた際の歌/ 皇紀1372年、西暦712年)※御井の水を汲む清浄な乙女をみることができた感激を述べた歌。「山辺」は三重県鈴鹿市山辺町付近か一志郡内とする諸説ある。「神風の」は「伊勢」の枕詞。伊勢は風の強いところだが、それを天照大神の荒魂によって吹く風とみたもの。「相見る」は出逢うの意。神に遣える清らかな乙女を垣間見た正直な思いを歌にしている。現代も神宮に遣える紅白の巫女の姿に重なる。---------/武産合氣會 ... See MoreSee Less
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09/10/21

武産合氣會合気道体術、両手取りの一つ手をそして胸を開き相手を受け入れ導く#合気道 #体術 #両手取り #武産合氣會 #武産合気 #大阪 #吹田 ... See MoreSee Less
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03/10/21

武産合氣會子供合気道合氣之杖間近に迫る昇級審査にむけて杖術練習中。体術もみっちりやりました。#合気道 #合気杖 #杖術 #武産合気 #武産合氣會 #子供 ... See MoreSee Less
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02/10/21

萬葉歌百選-武産合氣會-<十>ますらをの 鞆の音すなり 物部の大臣 盾立つらしも[読み]ますらをの とものおとすなり もののべの おほまへつきみ たてたつらしも[意訳]勇士たちの鞆の音が聞こえてくる。物部の大臣が盾を立てているらしいよ。(和銅元年戊申 元明天皇の御製/ 皇紀1368年、西暦708年)※即位、遷都などの時、石上(いそのかみ)、榎井(えのい)の二氏が盾を立てる慣例があった。元明天皇即位による大嘗祭のようすを歌われたと思われる。「鞆」は弓を射るときに左の臂に巻いて弦のあたるのを防ぐ防具。「物部の大臣」は石上麻呂をさし、物部氏は天武朝期に「石上」の氏を賜った。---------/武産合氣會 ... See MoreSee Less
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19/09/21

萬葉歌百選-武産合氣會-<九>いざ子ども 早く日本へ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ[読み]いざこども はやくちゃまとに おほともの みつのはままつ まちこひぬらむ[意訳]さあ者どもよ。早く日の本の国、日本へ帰ろう。大伴の御津の浜辺の松も、われらの帰りを待ち焦れていることであろう。(山上臣憶良が遣唐使として唐滞在中に本郷を想い作った歌/ 憶良の帰国は慶雲元年、皇紀1364年、西暦704年)※「子ども」年下、または目下の者たち。 「大伴の御津」難波の津。遣唐使の発着した港。「大伴」は大阪から堺にかけての総称であり大伴氏の領地であった。---------/武産合氣會 ... See MoreSee Less
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